ERの先生達 こんにちは。 天気の良い日曜・祝日は、海にたくさんの方がでているのが見えます。 この中にも、本日はお休みで当院職員さんもいるかもしれませんね。 当院には、月曜日~金曜日に湘南鎌倉ERの先生達が来てくれています。 主に救急外来で外来診療を行い、入院が必要時には当該科にコンサルテーションしてくださいます。 ERの先生達のすごい所は、救急外来だけではありません。 たとえば、入院患者さんで歯の周辺から出血して止まらないという時には、ERの先生がサポートしてくれたりします。当院に歯科医は常駐していないため、すぐに来てもらう事はできません。我々で対応してもうまく止まらなかった場合に相談すると、ERの先生達はかけつけてくれます。病棟にあるものを使用してとりあえず止血をしてくれます。ERの先生達は、救急対応は救急外来だけでなく、色んな場面で緊急時に対応できる高い能力の先生達です。 そんなERの先生達のおかげで、患者さんだけでなく我々も安心です。 葉山内科・GIM
教えることは学ぶこと 「上手に教えるのにはどうしたらよいですか?」 自分より後輩と接すると、そう質問する人がいる。 上手く教える人にはなれないかもしれないが、教えることが当たり前という心構えが大切だと思う。 わけへだてなく教える人を “Clinical educator” というらしい。 教えてもらって嫌な人はいないし、教えることで自らが学ぶことになる。 教えることが当たり前という文化をどこでも拡げていきたい。先輩たちから学んだ大切なことだから。 葉山内科・GIM
まず診ること 検査は重要。検査によって診断が確定して、 適切な治療につながる。 検査によって診断が変わることもしばしばある。 しかし、検査はあくまで診断の確認という位置づけ。 検査に頼って患者さんを診ないと、全然違う診断をしてしまう。 医師は、まず患者さんを診る。 この姿勢を大切に実践し続けていきたい。 葉山内科・GIM
誰かに託してそして生き続ける一粒の麦 曽野綾子氏の本に紹介されていた聖書の言葉から。 <一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ> 同じような話があったなと考えてふと思い出した。 中国の作家でえんれんかというかたの<年月日>という作品で、魯迅文学賞を受賞された作品だ。物語は、1000年に一度の大日照りの年で、皆がでていった村に1本のトウモロコシの苗を守るために老人と盲目の犬が残り、水を求めて戦い苗を守った話である。最後はたった1本の苗のために自らのやせてよれよれになった体を土にうめ栄養となり、苗はそこに生き延び、次の村に戻った若者に種を残したという話である。 誰かを助けるために、さらなる次の発展のために、今の自分を犠牲にすることができるかどうか。 自分ひとりの利よりもさらに多くの人の利を考え、ほかの人の力に次を託すことができるかどうかである。 日本の若者を育てなければ日本の未来はない。でも高齢者が社会福祉費の大半を使っている。自ら生きられないかたが自然な死を選ぶ分、そこにかかる医療費を次の世代の子供をうみ育てる費用にまわせないものか。次の世代の教育費を無償化するにしても財源が不足していることは明らかだ。次の世代にまわすことでいきるものがあるという意識を日本人皆がもたないとならない時期にきていると思う。
働けるまで働くことは、人に対して与える側に立ち続けること 外来を長くやっていると思うことがある。70歳超えても80歳超えても仕事をもっている人は若いということだ。身なりもそして発言もである。ぼけたら働けないから、それは仕事もっているから若いのではなく、ぼけてないから働けるのよといわれたこともあるが・・・ 私の患者さんを紹介しよう。若いときには食べるのも多くて生活習慣病でデータがとても悪かった人が、良く働くものだからいつまでもいてくれと請われて80歳も近いというのに葬儀場で働いているかたがいる。その人のデータは最近ではまるで以前とは違いとてもよい。働くためには無理をしなくなり、また毎日朝早くから夜も時間すぎても余分に働き、しっかり食事をとり早く寝る。お酒も以前ほどはのまなくなり年をとって適度な食事量にもなってきたという。以前にもましてイキイキしている。まだまだ働いてといわれたら週1日でも2日でもいいから続けるようにアドバイスしている。このかた、まだまだ元気で生き続ける気がする。生活習慣病があったらみんな早死にというわけではないのだ。 先日曽野綾子氏の<死の準備教育>という本を読んでいたら、同じようなことが書かれていた。曽野さんの語り口調はすごくはっきりしていて気持ちがいい。政治家や役人の方々がいえないことを竹を割ったような物言いでいってくれる。その中にあった言葉。 <福祉がすすめばすすむほど、もっとくれ、あれもくれと人々は永遠の飢渇に苦しめられるようになる。本当に人の心を救うのは、その当人に与えると同時に、その当人が別の他人に与える側にも廻る喜びを教えることである。おそらく、今後ますますふえて行く老人たちにとって大切なことは、死ぬまで働くことをやめず、いかにいつ迄ももらう側ではなく与える側に立つ光栄を維持できるか、ということにかかっているだろう。> その通り!!!と私はその場で拍手をし、そこに大きなラインを引いたのである。